旧高野町立白藤小学校

旧高野町立白藤小学校

旧白藤小学校の変遷

明治11年3月  神谷小学校として開校

明治25年 他校との合併により「神谷尋常小学校」に改称

明治35年4月白藤尋常小学校と改称

明治44年7月白藤尋常高等小学校に改称

大正15年7月白藤青年訓練所となる

昭和10年6月白藤青年学校に改称

昭和16年4月白藤国民学校に改称

昭和22年4月高野町立白藤小学校に改称

平成 9年 4月一時閉鎖(休校)が決定(平成20年3月廃校)

 

〒648-0262 和歌山県伊都郡 高野町細川471番地

設計・施工 不明

竣工年度 昭和26年

皆様、南海電鉄全100駅の中で、一日平均乗降人員が最も少ない駅はご存じでしょうか?南海高野線の終点である極楽橋駅の一つ前「紀伊神谷駅」です。

一日平均乗降人員が9人(R2)で最も少なく、開業はなんと100年前。1928年で駅舎も近代化産業遺産に認定されています。

周囲は木が生い茂った森で、売店もなければ自販機もなく、ただただ自然が広がるまさに秘境駅です。

遠くから聞こえる車輪と線路が軋む心地よい音のみが響き、そんな風景の中を歩いて10分程の場所に旧高野町立白藤小学校があります。

 

校舎のそばは、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている「高野街道京大坂道(きょうおおさかみち)不動坂」です。

「東高野街道・中高野街道・下高野街道・西高野街道」の全てが合流し南下した位置にあります。

参詣道は、紀ノ川を渡り、学文路から山中へ向かうが、道中は、学文路、河根、神谷といった宿場町があり、

江戸時代には参詣者の増加と共に大いに賑わい、高野街道京大坂道の利用は、高野参詣者の90%に及んでいました。大正末期には、旅館などが16軒もあり、750人が宿泊可能で、芝居小屋やまんじゅう屋、豆腐屋、などが軒を連ねており、当時は居住者も多く、この旧白藤小学校も存在するほどの賑わいがあり、1927(昭和2)年のピーク時には152人の児童が在籍したそうです。しかし、1997(平成2)年に廃校となり、その後、管理・運営は地元町内会となりました。

その様な中、趣のあるこの学校を守るべくボランティア団体「白藤の会」にて廃校利用を計画。この木造校舎に魅力を感じてもらうべく、イベント会場やフォトスタジオとして貸出し、さらに運営管理者の刀祢さんは「人の周遊及び回遊性向上と休憩スポットの充実」「賑わいの創出」を目的とし職員室をカフェ(Coffeしらふじ)に改修しました。

 

木造校舎の外観は、漆喰壁・下見板張り、旧屋根は瓦葺き(現在は鋼板縦葺き)となっています。

また格式のある玄関とする為、格天井としその先の軒天井は無垢板を放射状に施工した扇貼り。内部は、教室の名残が無数にあり、学校としての機能がそのまま残る状態です。柱には方づえが見えており教室の7mのスパンを支持しています。

カフェゾーンは黒板類などが残る職員室を、木造校舎の外観に合わせ、木製カウンターを設置しています。

白藤小学校は今も昔も「人と人が触れ合う」場です。当時のままの教室に一歩足を踏み入れると、タイムスリップしたような感覚を味わえ、まさにノスタルジックと表現する懐かしい空間です。

変わらない懐かしい場所…心が癒されます。是非、皆様ここにお越しください。この地を連想した「おもてなしのオリジナルコーヒー」を準備してお待ちしております。

【会報誌きのくにR4年8月号掲載】

情報・出版委員 辻本貴教

 

 

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