郭 邸

郭 邸

 

所在地   和歌山市今福
完成年   明治101887)年
設計/施工   不詳
構造    木造2階建一部平屋、寄棟造、桟瓦葺


kaku2 郭家は明国の名医玄関が明暦年間(165558)に帰化して、長崎で蘭・漢医となったことより始まります。第2代目郭氏は紀州徳川光貞に招聘され江戸詰医、紀州藩医となり、以来代々医業を継ぎ、藩医を務めます。廃藩置県後は和歌山の医学に貢献し、明治7年に第5代郭百甫氏が、和歌山市7番丁に和歌山で最初の医学校兼医院を開設し、医師の育成に努めました。

 郭百甫氏は明治10年に自宅に診療所を開設し、洋館を建設。ベランダから朝日を拝めることから「迎陽閣」と称され、設計者は定かではないが、洋館の建築に際して、神戸から大工が招聘され、地元の大工が手伝ったと伝えられています。

 建物は洋館と後方の和風棟が接続した形で、洋館の1階ホールは待合室と投薬室、平屋部分が看護婦詰め所で、診察と治療は和風棟の座敷で座って行われていました。洋館は木造2階建、一部平屋建で、屋根は日本瓦葺き、寄棟形式で、ベランダをもつコロニアルスタイルです。

kaku1 外観の特色は正面のベランダを支える中央の円柱、アーチ型の梁や手摺りで、モルタル洗い出しの仕上げで、両側面と背面は横羽目板張りです。縦長の窓はガラスの両開き扉外側に両開きの木製雨戸がついています。また扉の上部はアーチ型の欄間になっているのも特色です。

 2階への階段は投薬室隅に90度に折れ曲がる形で設けられ、2階は1室の構成で、書生部屋として使われていました。東側のベランダの床は亜鉛鉄板張りである。各室の内装は洋風意匠で、床は板張りで看護婦詰め所は昭和9年の改修時に突き板張りに変更され、壁は漆喰仕上、木部はペンキ塗りです。

 通りに面した青石(緑泥片岩)積みの塀と門柱は大正14年頃に改修されたもので、当初は四脚門に築地塀でした。本建築は和歌山県におけるもっとも古い現存する洋風建築物であり、木造洋館として高い水準をもつ貴重な建物である。

kaku3 洋館のすぐ後方には診察と治療に使われていた座敷二間と中庭に面した和風棟は、縁側廊下で奥の座敷とつながっています。江戸期に建てらたと伝えられる奥座敷に続くのが一畳台目の茶室「甘隠居」です。茶室としては最も狭い草庵の茶室で、床柱には壁付きの棕櫚、土壁が床の役目をしています。(写真1)座敷のあかり取りの障子や床脇の障子の斬新なデザインに目を奪われます。(写真2)飾棚の襖絵には蝶の生き生きとした姿が描かれています。一枚一枚の草花や動物の絵、漢詩を組み合わせた「合わせ絵」の襖や陶器の引手、大きさの異なる網代天井なども見事です。(写真3)

 明治に撮られた建物の写真が残されています。ここに写った人々の笑顔が今でもベランダにあふれているようです。

【会報誌きのくにH23年11月号掲載】

 

 

 

和歌山市支部 中西 重裕

 

 

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