旧葛城館

国登録有形文化財「旧葛城館」

 

katuragikanよく晴れた、カラっとして気候の良い午後、私たちはJR高野口駅に到着し、目的の建物はどこかと周りに目をやると、まさに駅の正面に木造総3階建ての威容があらわれました。国登録有形文化財「旧葛城館」。かつて旧紀和鉄道(現JR和歌山線)が明治33(1900)年に開業し、高野口駅(当初名倉駅)が開通すると、この建物は旅館として多くの高野山参詣客で賑わったそうです。当時の繁栄を思い起こさせる威風堂々とした外観、しかしながら間口6間のファサードは1階から3階まで全てガラス入りの木製建具が入れられ、あたかもカーテンウォールのような現代的な透明感があり重苦しさは全く感じさせません。屋根は軒を銅板葺きとした桟瓦葺き入母屋造、正面には軒唐破風と千鳥破風が二重に付けられ躍動感あるものに仕上げられています。この屋根の形式は粉河寺本堂、紀三井寺本堂などの寺院建築にも用いられているもので格式高く感じられます。引戸を開け玄関に入ると、広々とした空間が迎えてくれます。

2-1旧葛城館は木造3階建、竣工時期は資料によってバラツキがあり正確な年数は不明ですが明治後期~昭和初期との事。正面の3層部分は間口6間×奥行き5間、この部分が有形文化財指定されており、1階は玄関及び炊事場(土間)そして現在でいうフロント部分で占められ、2・3階は客室。3層部分の奥には2層部分の間口6間×奥行き15間の客室があります。

玄関は3層部分の1階面積の過半を占め、天井高さも十分に取られています。床は敷瓦を斜め向きに、また天井の竿縁の方向が交互に配置されモダンな印象を受けます。正面には幅の広い直進階段があり、人が上るとまる3-1 (1)で階段に吸い込まれるような面白さがあります。少し急な15段の階段を踏みしめ2階へ上がるとすぐまた前方は4段の下り階段。そして従業員用の階段、2層部分の客室へと続きます。ちなみにこの2階の床レベル差については3層部分の1階階高を上げることによって、玄関の天井高さを十分確保するとともにファサードを絶妙なプロポーションに整えているよう思えました。そして脇には3階への階段があり、廊下を後方へ回り込むと3層部分の客室へと続きます。この部分が動線の要所であり多くの客が賑わってる様子が目に浮かぶよう4-1 (1)です。3層部分の客室は東側、北側(正面)が縁側になっており、山々の素晴らしい眺望を得る事ができます。2層部分の客室は3間続きのつくりで、欄間や長押は趣向を凝らした細工が施されて当時の職人の遊び心が垣間見えます。

個人所有のこの建物は平成5・6年頃まで宴会場として使用されていましたが近年は残念ながら利用されていません。また老巧化、耐震・防災上の問題もあり再営業は難しいとも聞きました。しかし駅前の町の玄関口とい5-1 (1)う立地もあり、地域のランドマークにもなり得るような貴重で美しい建物と感じました。全ての取材が終わり夕暮れにさしかかる頃、建物正面の全面から華やぎを持った光が灯っている姿に思いをはせながら高野口町をあとにしました。

【会報誌きのくにH23年9月号掲載】

                        
情報・出版委員 南方一晃

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