加太警察(中村邸)

加太警察(中村邸)

 

  完成年:明治末期、もしくは、大正初期
  設計者:松田茂樹
  施工者:大彦組
  構造  木造2階建て

 

 道を走っているとつい目を留めてしまう建物があります。外観の持つ雰囲気だけを頼りに広がる空間をイメージして。加太にもそんな建物がありました。幸運なことに今回取材をさせて頂ける運びとなり、“ついに念願かなった”と逸る気持ちを抑え取材に伺いました。

  かつて警察署として重要な役割を担った建物は現在中村さんによって大切に保存・運用されています。この建物を中村さんが所有するようになったのはお父様が生前県の公示入札を通して取得したことに始まるそうです。昭和38年頃のことです。中村さんが高校時代のことだそうです。以来、住友金属が繁栄をなした時代には独身寮に、海水浴が大盛況だった時代には民宿に、と用途を変えなが今日まで大切に使いDSC05372続けてこられています。

  昭和36年、和歌山市に合併されるまで、この地域は加太町として町制を敷いていました。およそ7000人の住人がいたそうです。かつては、深山・加太砲台、友ヶ島と大阪湾を守る重要な要塞地域でもあり、自由に出入りできないものの活気のある町でした。故に警察署としての存在は大きく建物も実に立派なものでした。300坪あまりの敷地には本館・取調室・留置場・道場・会議室・署長官舎など必要な物は全て揃っていたそうです。

DSC05386  現在もきれいに保存され続けている外壁の下見張りペンキ塗りがこの建物の特徴の一つです。また正面は左右対照的に配置され警察署としての権威的な雰囲気を残します。本格的な下見張の洋館建築としては大変貴重であると察します。

  先日、和歌山市立博物館が編集した“あのころの和歌山—加太・東和歌山・紀三井寺編(戦前)”という写真集を見る機会がありました。加太の頁を見ているとどこかで見覚えのある建物が。そう、加太警察です。当時皇太子であった昭和天皇が巡行された際の写真であった。建物の東側から撮影された一枚には街道沿いに集まる民衆と舗装されていない道を行く皇太子を乗せた車、そして加太警察署が。DSC05365

  このような歴史を持った建物が現在も中村さんの手によって大切に、丁寧に使い続けられていることに敬意を表します。いつまでも加太の貴重な風景として存続して欲しいと改めて思いました。

【会報誌きのくにH25年4月号掲載】 

 情報・出版委員 東端秀典

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