和歌山市立博物館

和歌山市立博物館

 

所在地 和歌山市湊本町三丁目2番地

規模  敷地面積3,753.73m2、建築面積2,572.41m2、延べ面積7,540.38m2

構造  地下1階、地上4階、鉄筋コンクリート造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)

設計監理 (株)日建設計

施工  建築:大成建設(株)、空調給排水設備:三機工業(株)、電気:栗原工業(株)

和歌山市立博物館の立地するこの場所は、かつて和歌山市中央市場(青物市場)があったところである。1974年に和歌山市中央市場(1956~1974)が和歌浦魚市場と合わせ和歌山市中央卸売市場として、和歌山南港に移転した。その跡地に、1979年には和歌山市民会館が和歌山市七番丁(現和歌山市役所1976年)から移転し、1981年には和歌山市民図書館が新設された。跡地活用の掉尾を飾る公共建築として和歌山市立博物館が1985年に和歌山城築城(1585年)400年を記念して開館したものである。この一連の公共施設が建設されたのは、和歌山市が50万人都市を目指しまだまだ発展していくと誰もが思っていた時代である。しかし、振り返ってみるとこの博物館が竣工した1985年が和歌山市の人口のピーク(401,362人)であったのである。和歌山市として希望に満ちた時代であったような気がする。

常設展示室では、和歌山市の原始時代から戦後復興期までの歴史から紀州徳川家の資料など、和歌山市の文化歴史に関する展示が行われている。

玄関前にはフルーティング(縦溝)が施された巨大なオーダー(円柱)が一本、展示室の入り口の門を模したような飾り、八角形の柱など細部まできちんとデザインされている。以下はあくまでも私見であるが、1985年当時はまだ博物館と言えばギリシャ様式で威厳を示すのが常道であったのではないだろうか。しかし、単にギリシャ様式を採用するのではなくそこはモダニズム的解釈がされポストモダン的な匂いも嗅ぎ取れるものとなっている。

玄関ホールは巨大な吹き抜けと階段で構成され、その吹き抜け空間はコンクリートのはつり仕上げの壁に囲まれて非常に引き締まる空間となっている。しっかりした博物館らしい博物館である。

開館して37年も経過しているのも関わらずほとんど改変がなされておらず、昨日竣工したかのように設計者の意図がくみ取れる。改変が少ないのは世の中の変化に対応できていないのではなく博物館という建物の性質によるのだと思う。

しかし、この37年間は公共施設に対する考え方やイメージが大きく変わった時期でもあった。だから今博物館を設計するとこうはならないであろうが、それは決してこの博物館を貶めるものではなく、どんな文化もその時代から自由になれるものではなく、特に建築のように社会性の強いものほどその傾向は強く、良い建築ほどその時代の精神を体現しているように思われる。

博物館には展示空間以外に収蔵庫をはじめ、写真室、工作室、収蔵前のならし室、等々さまざまな室が必要であることを、今回見学させていただいて実感した。これだけの室があるということはそれだけ多くの仕事があるということで、博物館や美術館はそう忙しくないだろうという勝手な思い込みは改めなくてはならない。

この博物館と現在「和歌山リハビリテーション専門職大学」として使われている旧和歌山市民図書館のアプローチが少しおかしいのは旧和歌山市民会館を含めた全体構想があったからだと聞いている。市民図書館は大学になり、市民会館は撤去(あるいは転用)されるのを待つばかりで、市民がそうたびたび訪れる施設ではないこの博物館だけが残るという運命は誰にも想像できなかったのではないだろうか。しかしながら、和歌山市が自らの歴史をきちんと示すことのできる立派な博物館を持っていることは、都市の格という点で重要である。

【会報誌きのくにR5年5月号掲載】

 情報・出版委員 中西達彦

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