和歌山城 天守閣

和歌山城 天守閣

 

文中1_R幾度と無く足を運んだ和歌山城へまさか取材目的で訪れるとは夢にも思いませんでした。豊臣の時代から徳川家を経て現在の天守閣は第二次世界大戦中、昭和20年アメリカ軍による和歌山大空襲で天守を含む国宝11棟全てが焼失しその後、昭和33年に天守群が東京工業大学名誉教授である藤岡博士の指示を受け、鉄筋コンクリートにより再建されました。本来ならば木造で再建するべき所、大空襲にて焼失された事もあり復興のシンボルである和歌山城を二度と燃やすまいとの気持ちが周囲にはあったそうです。

わかやま歴史館にてマイクロフィルムにて保存されていた当時の鉄筋コンクリートの設計図面を見せて頂いたのですが、躯体だけを見れば確かに鉄筋コンクリート造ではあるのですが、ディテールに至るまで精巧に描かれており木造時代の写真を元に忠実に再現されていまし文中2_Rた。基礎に関しても図面を見ればわかるように石垣に負荷を与えないように杭が支持地盤まで達している事が分かります。又過去には木造による建て替え論争が今回の取材であった事を教えて頂き、天守閣を含む周辺整備及び各復元に掛かる予算も一度検討されていたのには驚きました。因みに木造に天守閣のみ建て替える場合、56億円ほどの金額が試算されていました。城が好きな人には是非とも木造で、と言いたい所ではありますが、鉄筋コンクリートで復元してもうすぐ60年を迎える現在では貴重な近代建築物としての価値も出てきていると考えられます。今後、建替案が再燃したとき大きな論争になるかと思います。

天守閣内には寄贈品などの資料を展示しており、収蔵資料の一部は「わかやま歴史館」に移ったそうです

展示ケースも時代を感じさせる物で、階ごとに展示内容は1階~主に武具、2階~徳川家に関する品、3階~寄贈された和歌山城の模型のみ、となっています。学芸員の方もおっしゃっていましたが展示のレイアウトがあまり良くなく、動線をもっと整理したいところです。連立式天守なので1階は回廊になっているのですが、来城された方の中には気づかずに帰られる事もあるそうで展示方法を工夫したいとの事でした。また天守閣の中で唯一木造で復元されている楠門ですが、斜めの柱が石垣の凹凸に合わせて加工されているのが外部にて確認できますので和歌山城へ来城する際はぜひ注意して見てみて下さい。

日本で三大連立式天守に数えられる和歌山城(他、姫路城・松山城)。徳川御三家55万5千石、将軍も輩出し規模も家柄も申し分なし。全国でも珍しい大奥、壁と屋根がある御橋廊下。青石を使った野面積みによる石垣(国内では徳島城と二つだけ)。国内にある城の敷地内にある動物園では最古。いま一度、和歌山城のあり方を再認識して全国にも誇れるようなお城になることを願っております。

 

【会報紙きのくにH28年7月号掲載】

情報・出版委員 村上 敏治

 

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