湊御殿

1名称     湊御殿(奥御殿)

構造及び規模 木造 平屋建

       梁間10.86m 桁行18.1m

建築面積   228.96㎡

建築年代   天保5年(1834年)

所有者    和歌山市

 

今回は近代化遺産のくくりからは少し外れますが、和歌浦の取材時に出会った建物の紹介です。水軒の「湊御殿(奥御殿)」。湊御殿とは現在の和歌山市湊御殿1~3丁目にあった紀州藩主の別邸で、広大な敷地内には多くの建物が存在しました。現在の地名はそのことに由来します。2代藩主徳川光貞(みつさだ 1626-1705)の隠居所として元禄11年(1698)に造営されましたが何度か焼失し、そのつど再建されました。今回取材の「湊御殿(奥御殿)」はその内の一つで、天保3年(1834)に再建されたのち明治初期には和歌浦へ移築、昭和42年市指定文化財に指定され平成18年には現在の地へ移築されます。

2 外観をぐるり一周まわって建物を眺めると寄棟屋根のおおらかな印象が目を引きます。瓦は丸瓦と平瓦を合わせて一体化された和歌山独特の「丸桟瓦」と言われるもの。和歌山城の御橋廊下や旧中筋家住宅などでも使用されており、柔らかなカーブを描いて全体に優美な雰囲気を与えているように思えました。

3中へ入ると襖の唐紙には「綾菱地(あやびしじ)」という文様を背景に「若松」が縹藍(はなだあい)という紺色で描かれ、非常に華やかでモダンな印象です。職員の方によるとこの文様は当時使われていたであろう唐紙を推定して貼ったもので、完全に再現されてるかどうかは分からないが現在でも京都唐長に残っている文様であるらしく、襖を見ているだけでも古来からの日本の美に触れたような気分になります。天井の唐紙には縹藍の地に胡粉で「龍の丸」が配され、3m程ある天井高さと丈のある欄間がより豪壮さを引き立てます。柱は栂柾材の4寸7分角と非常に太く武家屋敷らしい力 5 強さも感じます。襖続きの部屋を進んで上の間へ。床の間をよく見ると違い棚や天袋の引手金具には葵紋の金具が取り付けられ紀州徳川家の建物であったことがうかがえます。広縁にまわると杉戸があり、表面に「唐人人物画」、裏面に「花鳥図」が描かれています。これらは紀州藩御抱絵師の狩野派による作品と言われているそうです。もう一度外へ出て建物を眺めると土庇と濡れ縁が内部の広縁に続き、中と外の境界がゆるやかになり建物が奥行き深く感じられます。

4現在この湊御殿(奥御殿)は、同じく徳川家によって造営された庭園「養翠園」の敷地内にあり一般開放されています。予約をすれば茶会などで貸切利用もできるそうです。皆さんも紀州徳川家を身近に感じることのできるこの場所を訪れてみてはいかかでしょうか。

【会報誌きのくにH26年2月号掲載】

情報・出版委員 南方一晃

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