西村記念館

西村記念館

 

記念館斜 新宮市にある西村記念館は西村伊作の住家であり、大正4年の建築である。新宮市に三度家を建て、その三度目の自邸がこの館として現存し、平成12年国指定の有形登録文化財である。新宮市内の西村氏設計作品はこの館と隣接する宣教師のチャップマン邸(現在所有者不明)がある。

 内開きの玄関扉を開けると広々としたホール、その向こうに階段が見える。各部屋への入口ドアの額縁は重厚だが、よく見るとシンプルな装飾が施されている。寄せ木の床が印象的で、伊作がデザインしたターコイズブルー色の椅子と腰壁がとても美しく素敵だった。西村氏自身の作品である絵画や陶器がたくさん展示されており、建築においてだけでない多才さが表れている。

 大正時代の洋風建築を考えたとき、大富豪が住んでいたような大きな洋館を思い浮かべるのだが、ここは外観も内観もシンプルな装飾で飽きることがない。現在の記念館住宅は家族のつながりを意識し、リビングを中心とした間取りは一般的であるが、まだ格式や接客を重視した封建的な住宅が主だった90年以上前にこの家が設計され、建てられたということに改めて驚かされる。「家族の団欒を楽しみ、暮らすこと」を自ら実践した伊作の情熱は、教育に関しても多く注がれる。そして「文化学院」を創立することになるのだが、その協力者でもある与謝野晶子氏を始め佐藤春夫氏など多くの文化人の社交場でもあった。

両親を濃尾地震で亡くした伊作は、耐震に関して強くなければという思いがあったという。その思いを重視して建築されたのか実際に大地震(東南海地震)に耐えている。また、当時を考えると驚きの設備が設けられていた。地下室があり、そこにある井戸から水が階上に汲み上げられ、屋根裏の受水槽に貯められる。その水は各給水箇所に送られるというシステムである。それにより2階の浴室も可能になったのだろう。

当時先駆的であった伊作の住宅に対する考えは支持され続け、現在の住宅の基礎となったこの館をこれからの時代も愛し、守られ続けることを願いました。

所在地 和歌山県新宮市新宮7657

 

三木 早也佳

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