稲むらの火の館

稲むらの火の館

 

01-北側遠景

北側遠景

 

●所在 有田郡広川町広地内

●建築概要 濱口梧陵記念館:木造平屋建て

      建築面積 587㎡延べ床面積509㎡

津波防災教育センター:鉄筋コンクリート造(耐火建築物) 3階建て

建築面積601㎡ 延べ床面積1,190㎡

      敷地面積5,023㎡

      平成19年3月 完成

03-北東面外観

北東面外観

04-北面外観

北面外観

今回は広川町にある「稲むらの火の館」を紹介します。安政元年11月5日(旧暦)の大地震による大津波の時、濱口梧陵が、自らの命をかけて広村(現在の広川町)の村民の命を救ったという「稲むらの火」の物語はご存知の方も多くいらっしゃると思います。

この施設は、濱口梧陵の偉業、功績を伝えるための「濱口梧陵記念館」と津波防災の教育施設、「津波防災教育センター」の2つの建物から成っています。敷地は、「梧陵の偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくためであれば。」と濱口家より寄付されたものとのことです。

最初に、「濱口梧陵記念館」は、この寄付された敷地にもともと建っていた濱口梧陵ゆかりの邸宅を改修したものです。展示室、交流・談話室、茶室等から成る木造の古き良き日本建築で、濱口梧陵にまつわる資料が展示されています。使えば使うほど、古くなれば古くなるほど美しくなるこういう建物は本当に素晴らしいと思います。また、隅々まで手入れが行き届いた日本庭園もとても美しかったです。ただ、実際に濱口梧陵が生活していた邸宅は大正4年に焼失しており、その後建替えられた建物を改修しているようです。

次に、「津波防災教育センター」は、津波防災にまつわるさまざまな展示物や津波の恐ろしさを体感できる3Dシアター、長さ16mの津波実験水槽などが展示されており、近い将来、再び襲ってくるであろう津波から大切な生命とくらしを守る術を学ぶことが出来ます。また、災害時には地域住民の一時避難場所、防災備蓄倉庫としての機能も備えています。内装は、ほぼほぼコンクリート打放し仕上げになっています。鉄筋コンクリートの柱、梁、壁がむき出しになっているので、津波が襲ってきても流されそうもない重量感と倒されそうもない強固感が感じられます。

最後に、濱口梧陵の偉業は安政の大地震に際して迅速な避難に貢献したことばかりではなく、被災後も将来再び同様の災害が起こることを予想し、私財を投じて防潮堤(広村堤防)を築造した点にもあります。この広村堤防は、安政の大地震のわずか3ヶ月後の安政2年に着工し、安政5年に完成しました。これにより広川町の中心部では、昭和21年に発生した東南海地震南海地震による津波に際しては見事にその機能を果たし、多くの町民の生命を守りました。

 また、濱口梧陵が村民を救った11月5日は、2015年の第70回国連総会本会議において、「世界津波の日」に制定されました。広川町においても毎年この日に、「津浪祭り」が開催されています。濱口梧陵の功績は、広川町民のみならず全世界の人々の防災意識を高めることとなっています。建築士である我々も防災についての意識と知識をより一層高め、日々の業務に携わらねばと思いました。

【会報誌きのくにH30年12月号掲載】

情報・出版委員 大江 猛史

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