和歌山県民文化会館

和歌山県民文化会館

【諸元】

  敷地面積 10,590m2、延べ面積 15,961m2  RC造(一部、SRC造、S造)

  地上6階、地下1階、塔屋3階  大ホール 2,000席  小ホール 328席

 この建物は、昭和45年に工事費約14億円で、富松建築設計事務所富松助六氏(1919~2008 和歌山県生まれ)の設計により建てられたものである。平成22年から2年かけて、耐震を含めた全面改修が行われた。

 今、改めて見てみると、大小ホールとこれらをサポートする会議室群、レストランさらに近代美術館(平成6年に和歌山大学教育学部跡に移転)までを一つの建築に計画している。しかも、六角形を中心とした平面構成でこれを実現している。また、この規模の建物としては非常に狭い敷地でありながら、大階段や広場のうまい構成により、県民の晴れの舞台としての演出も怠りない。

 富松氏40代後半の脂の乗りきった時期の作品であることは確かである。これは、県が実施した指名コンペで全国大手事務所に互して和歌山から指名されたものである。今から考えると地元枠で指名されたと受け取られかねないが、当時の富松建築設計事務所の実力は全国大手と遜色のなく、指名されて不思議のないものであったと聞いている。そして、それを勝ち抜いた設計がこれである。

 少し話はそれるが、秋葉山プールの建て替えの際の設計プロポーザル選考委員を旧秋葉山プール(富松氏設計)に案内したところ、委員の一人であった、いるか設計集団の代表の重村桂子氏が富松氏設計の秋葉山プールのエントランスゲートを見て「和歌山にもコルビュジェがいた。(私の記憶では)」と言われた。このことからも富松氏の実力がうかがわれる。

 昭和46年の黒潮国体に向けて作られた秋葉山プールも地形を活かし、非常に広い子どもプール、25mプール、50mプールと3段階構成で、重村桂子氏も言われた力強いエントランスゲートという素晴らしいものであり、これが完成したときには全国の水泳関係者からは羨望の的であったと聞いている。しかしながら、時代の流れには勝てず今年の国体を迎えるに当たり屋内プールが必要となり建て替えざるをえなくなったものである。新しいプールの一部ではあるが、旧エントランスゲートのイメージを継承した車寄せとした、いや、旧建築がそうさせたのである

 県民文化会館もプールの例にもれず、時代の違いから耐震、バリアフリー、女子トイレが少ない等が課題となり全面的な改修が必要になったものである。建て替えでなく全面改修でよみがえらせたことは英断であったと思われる。逆に言えば、この建築にそうさせるだけの力、価値があったとも言えるのではないか。

 ただ、少し残念なのは、外部空間で杉の小幅板によるコンクリート打ち放しが塗装され、コンクリート打ち放しはつり仕上げが色漆喰吹き付けに、小口タイル貼りがカバー工法により色合いまで違ったものになってしまったことである。もう少し元設計の雰囲気を残せなかったものだろうか。

 最後に県民文化会館が今後も永く県民に愛されることを祈念しつつ、故富松助六氏にあらためて敬意を表したい。

【会報紙きのくにH27年9月号掲載】

(情報・出版委員 中西達彦)

 

県民文化会館新旧プラン比較

 

 耐震改修後の大幅なプラン変更点は大展示室を含むエントランスロビー部分である。旧一般展示室部分にスロープを設置し、旧大展示室を細分化させると共に旧県民ロビー部分にパブリックトイレを新設している。内装の仕上げ材として不燃処理された紀州材を使い地域の文化を継承する取り組みがある。また、大ホールの座席は改修前のものをそのまま利用している。その他、バリアフリー化やエレベーター新設、太陽光パネル設置等が行われている。

 改修前の平面図を拝見すればかつてのプランの巧みな技法がよく分かる。客席数や用途からすれば狭い敷地であり、鋭角に交わる道路の角地に立地することから設計は非常に困難であったと思われる。しかし、二つの道路と平行に間仕切られたプランや、北面に広がるのびのびとした広場による段差解消方法などは卓越した設計技術であり、難しい諸条件を感じさせないものであったと思われる。さながら都市を建築の中に広げたようなニュアンスを感じられるプランである。

図面

 情報・出版委員 東端秀典

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